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山元春挙 絹本色紙絵 松の図 滋賀大津市 竹内栖鳳と共に近代京都画壇代表する画家 s-728 

山元春挙 色紙絵 絹本色紙 松の図 
左上に虫ナメ跡、全体的に薄シミ・薄ヤケが見られます。
色紙サイズ 24cm×27cm
額のサイズ38cm×41cm

山元 春挙(やまもと しゅんきょ 1871~1933)
滋賀県滋賀郡膳所町(現在の大津市中庄付近)に生まれる。
明治から昭和初期にかけて活動した円山四条派の日本画家。
本名は金右衛門。幼名は寛之助。別号に円融斎、一徹居士。
竹内栖鳳と共に、近代京都画壇を代表する画家である。

打出小学校卒業後、12歳で京都の日本画家野村文挙に入門、
その後文挙が上京したため、文挙の師、森寛斎に師事。
明治24年、竹内栖鳳、菊地芳文らと青年絵画懇親会を結成。
後に、京都市立美術工芸学校、市立絵画専門学校で教鞭をとり、
大正6年(1899)帝室技芸員となった。
大正8年(1919)帝国美術院会員となり、この頃遠州七窯の一つである地元膳所焼の復興を目指し初代伊東陶山・岩崎建三らと新窯を開く。
また琵琶湖や三上山を借景に取り入れた「蘆花浅水荘」を営み(中庄一丁目)、
のち庭内に「記恩寺」を建立、寛斎と父の像を安置した。
風景画を得意とし、雄大な山岳・日本アルプスなどの風景を描くためカメラを持参した最初の画家でもあった。昭和8年(1933)、63歳で没。 
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