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京焼 三代清水六兵衛作 織部 四方皿4客 五代六兵衛箱書 t-1192

京焼 三代清水六兵衛作 織部 四方皿です。
箱表には 「三代作 おりべ浪うら 四方皿」 
蓋裏には 「祖父三代 六兵衛翁作」
  「昭和十五年春 五世六兵衛題」 と
五代六兵衛の箱書があり
幕末から明治初めの稀少な作品と存じます。

時代のものなので小さなキズは見られますが
決定的な大きなダメージではないと思います。
裏銘は六画印ではなく全て六兵衛の崩し字をヘラ書きしています。
箱の底の桟が1か所外れています。

①緑釉の掛った窯傷有り
 他の3客と異なり高台がベタ底になっています。
②釉薬の掛った窯傷と角にカケ有り
③釉薬の掛ったニュウの窯傷と小ソゲ有り
④約2mm~1cmのソゲ数か所有り

サイズ 約10.5cm×約10.5cm  H約1.6cm~1.8cm

【三代清水六兵衛】
文政5年(1822年)~明治16年(1883年) 2代の次男。号は祥雲。
1853年(嘉永6年)、京都小御所に大雪見灯籠二基を焼成する。
1868年頃、古藤六兵衛を清水(しみず)六兵衛に改める。
明治以降は国内外に積極的に出品し賞を受賞。
その幕末から明治にかけての活躍において
清水家中興の祖と言われている。

【五代清水六兵衛】
詳細は「清水六和」を参照
1875年~1959年  4代の長男。のち清水六和。
清水の読みを「きよみず」に改める。
1887年幸野楳嶺に師事ののち京都府立画学校修了、陶法を父に学ぶ
1895年楳嶺没後、谷口香?に師事
1903年京都市立陶磁器試験場が設立され同所で科学的釉薬、製陶法を研究
1912年同志と京都遊陶園を結成し東京にて展覧会を開く。のち京都佳都美会結成
1913年5代六兵衛を襲名し
1922年フランス・サロン会員
1927年帝展審査委員
1928年マヨリカ焼き(音羽焼)焼成の功により緑綬褒章受章
1930年帝国美術院会員
1931年フランスよりエトワール・ノワール勲章授与
1937年帝国芸術院会員
1945年六和と改名、長男に6代六兵衛を譲る
在庫なし